「論語」の世界 No.2

論語」の世界 No.2

1、なるべく、「儒教」という文字から逃げるのは。それをみたらもうその文を読みたくなくなると逃げ出した最初の人はだれか?それはいつからなのか。福沢諭吉から始まったことなのだ。朱子学に記されている名分論(「名分をたてる」「大義名分」)が家父長制とか男尊女卑という差別的ヒエラルキーを予定調和的に容認している。儒教といわれるものの時代的制約を認めざるを得ない。この点を詰められると私は已む得ず誤魔化すかもしれない。だがここで申し開きをすると、それは厳密に言って、あくまでも近世の話。現在の問題は、近代の家父長制、近代の男尊女卑だということを分かる必要がある。ところが近代は自らがオリジナルに作り出した差別を近世から継承したと詐称しているが、これは隠蔽である。こういうことは「脱アジア論」の福沢に大きな責任があるし(大きな論争があるが)マルクスにもあると思っている。常に、遅れた「前近代的な・・・」というあの言い方で、アジアの思想が指示されてきた。2、江戸の思想家が行ったことは、朱子学の中世を解体していく作業であった。武士の時代の政治的検...閲があっただろう。その制約のなかで、特に町人出身の儒者たちは、直接に政治を批判できなかったから、道徳論から政治(支配階級の武士政権)をただすことができた。その可能性があった。彼らの「古学」とは、古えを学んで世をただす学問であった。だが時代は平等の観念の発展にとって桎梏であった。誤魔化すしかなかった。より普遍的な平等について考えることができる者たちがあらわれたのは、寧ろ修正朱子学の方向からといわれる(貝原益軒)。陽明学の日本的展開があった(熊沢蕃氏、中江藤樹)。

3、ここで再び朱子学について考える。アジアの思想というのは、西欧の市民倫理と比べると平等を実現する方法に欠くのだけれど、仏教(華厳)が達した平等についての最高の観念をもっているのである。それは、抽象的思弁性をもって「中庸」を解した朱子の解釈世界に定位しているとかんがえられる。そこで記されている平等の観念は、しかし神秘的にしか読み解くことができないような直接的無媒介性をもっているので、日本語に訳せないものである。他者の言葉(漢字)を受容して1000年たったという<成熟>が「「童子問」にある、と子安氏は指摘する。。近世の「論語」の読みは、一言で言って、瞑想の内部を排除して成り立つようなできるだけ「日常卑近」という表層に依ると強調されている(「童子問」)。だがその「童子問」とて、日本語にどうしても訳せないものをいかに考えていくのか?思考できないものを思考すること、この他者と向き合う思想は、「童子問」から始まった。それ以前には、思考できないものを思考するというその思想はなかったのである、と、私は勝手に言ってしまうのだけれど。ただこれだけは確かだ。日本思想の原点が「童子問」にある、と。21世紀にやっとこのことに気がついてきた。21世紀にしか、思考不可能な江戸思想と近代思想との関係を思考することが起きなかったのである。20世紀の近代は、思考できるもの(近代思想)を思考しただけであった、思考できないものは例外が許されず、思考できるものに根拠づけられたのである。