「論語」の世界 No.3

論語」の世界 No.3

近代知は、徂徠を登場させるときのその紹介の仕方がなんともアレなんだよね、昔そう思った。モダンな、したがって「前近代」において非常に例外的に(と勝手にかれらがきめつける)、客観知をもった実践的な思想家として紹介したがるわけだけれどね。(そうすると、新井白石のような人物を説明できなくなるから、最初からモダンな思想家として発見する。しかし白石はモダンではなく、経験知を重んじた朱子学の知だと考えられる。) 道徳性から切り離された、ヘーゲル的な倫理性を徂徠が体現していると説明しだすとき、またか?もうこれはヨーロッパの儒者たちの話なのかと思ってしまう。17世紀の古学派の儒者たちは、経験主義者の福沢諭吉が「大知」と呼ぶものを重んじていた。そしてそこで、孔子の教えを学問(思想)と道(実践)を分け隔てる知としてはとらえていなかった。実践的であろうとした。聖人の教えをいう徂徠も同じだっただけだ。現在の知からは、古えの言葉に対応するものが何を指示していたかが失われてしまったとするとき、なお思想的に考え続けるのが徂徠の徂徠である所以であった。言い換えれば、それは、理念性に留まり続ける、事件としての思考であった。近代知は、近代ヨーロッパの理念性しかみとめないから、徂徠がいかに仁斎を批判しながら自らの思想を理念的に確立したかというプロセスをみようとはしない。カントと同時代の仁斎が理念性の要請を発見したことはあり得ない話なのか。「カントの仁斎、マルクスの徂徠、ニーチェ宣長」は存在する。「キルケゴールの仁斎」も登場してきた。が、それは近代ヨーロッパの知が自らを描いてみせた自己肖像画でしかない。結局カントがオリジナル、仁斎がコピー。常にカントが仁斎の間違いを正す。「あれか?これか?」、である。そこから、カント<と>仁斎の間に横断的に働く<と>が常に排除される