現在緊急に考えなければならないことは、ほかのことではなく、フーコのこのことばではないでしょうか。

「主体性、アイデンティティ、個性といったものは、60年代以降、ある重要な政治的問題を構成していると思われます。アイデンティティと主体性を、政治的、社会的要因によって左右されることのないような本質的で自然な要素とみなすのは、私の考えでは危険なものです。」
フーコー 、国家理性を問う-

現在緊急に考えなければならないことは、ほかのことではなく、フーコの国家理性を問うたこのことばではないでしょうか。一緒にかんがえてみてください。もし昨年だったら、または今年一月二月だったならば、小池百合子はこれほど簡単に都知事になれたかどうか?国民会議在特会との関わりがマイナスになるのではなくかえって彼女を助けているということすら起きているのかもしれないとしたら、それはどうしてでしょうか?三月「伊勢サミット」で安倍首相がG7首脳達に事実上参拝させるという誰にもできないことをやってみせ、文化アイデンティティを、(救済神学的なものが国民運動的に展開されるというような)国家神道の復活と等価のものを、したがって憲法政教分離原則の破壊を、外見上国際的に認知させてしまったのです。(もちろん国際世論は安倍の演出を大変危険なものとして非難しています!)毎日機械仕掛けのように進行していくこの恐るべき無責任な権威主義体制に抗議していくしかありません。