ジェイムス・ジョイスの世界 No.6

ジェイムス・ジョイスの世界 No.6

嘗てのアイルランド独立運動ナショナリスト達がギリシア神話に登場する単眼の巨人の役割を演じる意味が問われる<挿話キュクロプス>において、自らをアイルランドの「市民」であると言うブルームの受難が指示される。ここでジョイスはアイルランドの受難を仄めかしていた可能性もあると私は思う。さて北アイルランド紛争を解決しなければならないという現在から、このブルームの受難をいかに解釈するか、である。帝国主義反帝国主義は互いに補い合う関係にあったとする読みの意味を本当に理解できたのは、ダブリンにいたときではなかった。東京に戻ってきてからである。東アジアの歴史修正主義者達の問題について考えたときからであった。日本帝国主義戦争犯罪はこれを人類に対する犯罪として普遍的に構成すべきである。したがってA級戦犯を祀った靖国神社とその内閣の参拝は人類に対する犯罪である。だがもしこういう構成をとらずに、中国・韓国のナショナル・アイデンティティーの根拠とされてしまうと、(待っていましたとばかり)日本の対抗ナショナル・アイデンティティーが呼び出され、そうして東アジアは歴史修正主義者達による相互の憎悪交換の悪循環に陥る危険性があるということを考える。北アイルランド紛争の解決のためには市民ブルームと彼の道がどうしても必要であるように、東アジアは、(民同士を争わせる)邦なんかをすてても構わないから政治的災害から避難し連帯する<市民>の道が必要であるという未来を考えるのである。