METのオペラ実況映画、ヴェルディ<イル・トロヴァトーレ>をみた

昨日は日本橋で、久しぶりに、METのオペラ実況映画にいってきた。映画の中のインタビューをきくと、現在活躍している歌手はロシアや東欧出身のひとばかりだね、イタリア人の歌手が本当に少ないと気がついてハッとする。ソプラノにイタリア人歌手なんかいるのだろうか?イタリアの財政事情が大変苦しくオペラを学校で教えられないという深刻な指摘もある。ヴェルディイル・トロヴァトーレ>は、ラング「M」みたいな話?非常に現代的な感じがする。「ドン・カルロ」をみたときもそうおもったのだが、歌うヴェラスケス絵画みたいだなどと勝手に想像するのは、16・17世紀のスペインを舞台にとっているからだろうか?19世紀というのは、自らを表現するために、いかに過去を呼び出したのか、20世紀でのその意味は?時々はオペラをみながら思索するのも、文学・哲学・批評などの活字だけで考えていくより確実なかんじ...ちょっぴりだけだけどね、そう感じるときもあるぐらいのこと。(ヴェルディについて語ると、どうしても同時代のワーグナーを無視してしまうことができない。ワーグナーの過去を呼び出すときその過去は古代。神話的古代へ回帰していく歴史は近代が自らのために呼び出すような歴史でもある。音楽史の位置づけは別として、ニーチェに負うといわれるが、同一的反復と(反復しない)差異を(起源から離れていく)人間的意味のほかに与えることがなかったあの哲学ラジカリズムがワーグナーに貫いているとはどうしても思えないのだが、まだ十分にわからないことである)