グローバル・デモクラシーの場からの問い ー 津田左右吉のナショナリズムと丸山真男の近代

グローバル・デモクラシーの場からの問い
津田左右吉ナショナリズム丸山真男の近代

ウエスタン・デモクラシーというのは、西欧と名指される空間でルネッサンスから約五百年かかって一応完成した市民的体制と教えられる。このウエスタン・デモクラシーは近代アジアにとって百年とかもっと短い十年や二十年の期間で本当に実現できるかという問題がある。やむを得ないことだが、だがかくも極端に凝縮された時間のなかで、自由を隷属だと言ったり、隷属を自由だと言ったりするという混乱は避けられず、思想家たちの間から、裏切られたという言葉が繰り返し聞き取られることになる。われわれはフランス革命以降の時代に生きているのである。                 さて津田左右吉は完全なナショナリズムを戦後憲法に託したという。そしてやはりアメリカに裏切られたとき、彼にとってこれは最初に蒙った裏切りではなかった。再び裏切られたのである (詳しいことは、「「大正」を読み直す」に述べられている)。また丸山真男をみると、彼がいう「歴史的状況」の歴史とは、近代を形成する歴史、ヘーゲルがいうような歴史であろう。丸山の言葉を素直に読むと、「ヨーロッパにおいてそれ(ウエスタン・デモクラシー)を担った力よりもはるかに、"左"の力」にとって、完全な歴史が不完全な現実に裏切られてしまったのである。このとき、(国家に対して国家と等価の組織と暴力を作りだすというだけの)"左"の力が、市民という意味でほんとうにそれほど、自由を実現するという解放する’左’を構成できたのかについて問われるこの問いは意味がある。震災以降の小田実とかれと幸徳秋水大杉栄の思想的関連性(市民たちはいかに、ほかならない、市民たち自身と関わるか?)について考える根拠がここに存する。だが問いは、その思考を、反駁できないほどの固有なもののへの指示によって自らを取り戻さなければならないという方向で言説化してしまうとしたら、意味を同一反復の形式に埋葬することになるかもしれない。言説は、今日の歴史修正主義者達が(書記の時代に先行する)遥かなるブラックホールの如き<過去>に託した完成された固有なものを指示する態度で、しかしこれとは正反対の方向から、想定された<完全>な市民的体制(いわゆる「市民社会」)の背後に、遥かなる’未来’に託した完成された起源・時間・歴史をみいだすからである。そうして近代というのは、夏目漱石「こころ」の先生が常に苛まれる’遅れてしまった’という意識に生きなければならない時代である。(’殉死’のテーマは恐らく付随的な事柄に過ぎず、作家が主として書きたかったのは、たえず’遅れている’を言わなければならない近代の時間ではなかったか。)   何にであれ、右であれ左であれ、神話と現実の間のギャップ、歴史と現実のギャップが絶えず更新される。ギャップが終わらないのはなぜか?まだギャップにこだわることは開かれた意味を新しく見出そうとするから?もはや閉じているとしたらいつ終わるのか?民主化運動の東アジアならば終わるのか?その条件は何か?ウエスタン・デモクラシーの19世紀と20世紀の完全性をもとめたことから生じた限界を克服するために、この問い自体がグローバル・デモクラシーの同時的場において記述されるべきであろう。

「...東洋のような、いわゆる後進地域ではウエスタン・デモクラシーそのままが植付けられるのではなくして、西欧的自由によって人格が解放されていったその歴史的過程というものが、ここではヨーロッパにおいてそれを担った力よりもはるかに、"左"の力によって行なわれているし、また行なわれざるをえないという歴史的状況にある」(丸山真男)