映画評を啓蒙する

映画評を啓蒙する

1、学生時代、ゴダールカルメンという名の女」について説明した私の話を聞いた教授が「銀行強盗すべきではない」と言ったのは、「ゴジラがかわいそうだ」と違わないです。判断を恰も対象にたいして立法的に構成する態度がなんとも嫌ですね。「映画がかわいそう、不快だ」といえばよい。そこから「では君の映画とは何か?」という対話が生まれるかもしれないのだから。
2、映画というのは、悟性が主宰する立法的構成の方法よりも、想像力が主宰する司法的解釈の方法に委ねるべきだと思います。(オリジナル作品しか観ていないけれど)、悟性はゴジラを怪物としてしか定義できないのに、悟性によって、ゴジラが大衆の怒りを象徴するという象徴の意味作用を扱うのは無理ということです。悟性の問題を解決するためには、再び悟性に委ねられません。(あえて委ねるとしたら抽象化された悟性を新しく拡張的に考える必要がある。)
3、ゴジラは(強制採決の国会を壊すという)正しい行いをしたかどうかという判断は理性ならば考えようが、これとても対象に関する立法的構成に依るのです。結局判断の感情だけが「わたしはこの映画が好きだ」とか「あの映画は嫌いだ」と言うことができます。「あの映画は下劣だ」とは決して言えないのであるということがとりあえずの結論です。

 

参考

Doctrine des facultés. - Les trois Critiques présentent un véritable système de permutations. En premier lieu, les facultés sont définies d'après les rapports d...e la representation en général (connaître, désirer, sentir). En second lieu, comme sources de représentations ( entendement, raison、imagination). Suivant que nous considérons telle ou telle faculté au premier sens, telle faculté au seconds sens est appelée à légiférer sur objects, et à distribuer aux autres facultés leur tache spécifique; ainsi l'entendement dans la faculté de connaître, la raison dans la faculté de désirer. Il est vrais que, dans la Critique du Jugement, l'imagination n'accède pas pour son compte à une fonction législatrice. Mais elle se libère, si bien que toutes les facultés ensemble entrent dans un libre accord. Les deux premières Critiques exposent donc un rapport des facultés déterminé par l'une d'entre elles ; la dernière Critique découvre plus profondément un accord libre et indéterminé des facultés, comme condition de possibilité de tout rapport déterminé. - Deleuze

三つの<批判>は、諸要素を相互に交換できるひとつの真なる置換体系を呈している。第一に、諸能力は、表象一般の諸関係にしたがって定義されている(認識、悟性、理性)。第二に、表象の源泉として定義されている(構想力、悟性、理性)。われわれがどれかひとつの能力を第一の意味において考察するのに対応して、第二の意味における一つの能力が諸対象に対して立法行為を行い、他の諸能力に対し、それら諸能力に特有の課題を割り当てるように求められることになる。たとえば、認識能力においては悟性が、欲求能力においては理性が、そのような役割を引き受ける。確かに、判断力批判においては、構想力が立法的機能を引き受けることはない。だが、構想力は自らを解放し、その結果、あらゆる能力が一緒に、ひとつの自由な一致をなすのである。最初の二つの<批判>は、したがって、諸能力のうちのひとつによって規定された、それら諸能力の間の関係を説明するものであり、最後の<批判>は、より深いところで、諸能力の自由で無規定な一致を、あらゆる規定された関係の可能性の条件として明らかにしている。(國分功一郎訳)

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