グローバル時代のネオリベラリズムの終焉が始まった

グローバル時代のネオリベラリズムの終焉が始まったという論評を読む(ザ・ガーデイアン紙)。グローバル・デモクラシーの「公」の観念をいう思想の大転換が必要だと思った。パナマ文章問題は、国民国家の常識のままだと国の中の企業の国の外での節税の問題でしかないが、百年後の人々はそれをグローバル・デモクラシーの「公」に反する行為としてみることになるだろう。債務問題の解決の為に行ったギリシャ国民投票を契機に、国民国家の常識で「私」に属するとされた権利は民主的介入の対象であると考えられるようになったことは重要である。ピケテイの理論が先行している。この問題を考えていくと、公式参拝という伊勢・靖国問題は、東アジアにおけるグローバル・デモクラシーの「公」に反している反道徳的行為であると構成できるだろう。

 

20世紀はワーキングクラスの時代、21世紀はその没落と「貴族」復興の時代?だがグローバル時代の新重商主義といわれるネオリベラリズムの終焉が始まったという。格差問題と環境問題が存在しないと偽った、2020年東京オリンピックの無理とその大失敗を契機に、国威発揚の19世紀的20世紀的の国民国家の終焉がはじまる。格差問題と地球環境に取り組むグローバル・デモクラシーの「公」の観念と、<一>に包摂されない多様性としての普遍主義という今迄無かった思想の大転換が起きてくるのではないだろうか