2016-08-23 本居宣長の墓が二つあるのはどうしてなのか? 本居宣長 typhoon... 山奥の温泉地に来たら、なんとなく三月に訪ねた伊勢のことを思い出してきた。と、おのずと、本居宣長の墓が二つある理由を考え始めている...。宣長について書いて小林秀雄は墓から問いはじめて、最終的には決定的な答えを出さなかったと記憶している。それが答えだったかもしれない。確かめようがないことだが、おそらくは、墓の場所に関して一貫性よりも分裂があった方が、宣長自画像が伊勢に来た私のこころを動かしたに違いない。墓と彼の名が指示されているところに骨が無いのはどういうことなのか?痕跡が私を動かした。二つの場所の間で感じたり考えていたが、そもそもこちらとあちらを分けることに無理があるかもしれないと気がつくとき、最初からそもそも、分ける知はこの私とは関係がないのだと知る 。(死者の魂を差別化しヒエラルキーをつくる近代国家の祀る知なんかをどうして自分自身のこととしてかんがえなければならないの!?)。思い返すと、伊勢の散策のときは、感性・悟性・理性、構想力という意味での力の多様性の同時性について考えるのに、わざわざ自然法則とか道徳法則、趣味判断とかの語彙を特に使う必要がない場合だった