ロダンのバルザック

ロダンバルザックは、一見してギリシャ彫刻の美しい裸体像と違う。健全な精神は健全な肉体に宿るとすれば、近代の人間の精神がかくも崇高に醜い肉体に定位しているのかと見る人をぞっとさせる。完全の表象が掘り崩される、近代のこの孤独な不完全さをみよ。このバルザック像は身体を隠している。だが隠されているのは本当に、身体なのか?どんな起源であれ起源そのものを無意味にしていく時間ではなかったか。そこで、矛盾を孕んだ悍ましい時間が覆われているに違いないが、時間そのものを見ることはできないので、空っぽのようにみえるのだろうか。なんの価値もない空っぽの時代においては、価値を生み出すしかない。繰り返し不完全なものに裏切られ失望させられてきたにもかかわらず生み出すしかないという...