「東」と「西」の近代

「東」と「西」の近代

「東」と「西」との力の関係のことを指示しているとき、東西というのは、単に東と西の地理的分割の表象ではない。この関係は、劣ったとされた「東」は「西」に優越的な地位をみとめるという二項関係の言説に依る。たとえば植民地化したが文明化をもたらしてくれた国に感謝しようという話は、大英帝国を「西」の教える項に、アイルランドを「東」の教化される項に置くという前提で成り立っているような話である。この話は、内戦の危機と混乱のときエスタブリッシュメントのの現政権が国民に教育が与えてくれたから感謝しようという話と類似しているのは偶然ではないと思う。このときは、アイルランドと指示されているものは「東」の項から「西」の項へ移る、と同時に、民衆は「東」の項に位置づけられるのである。と、この点について認識を深めようとして、「植民地化された国は・・・」と口にしたらもう相手は我慢ならんとばかりに不快感をあらわにする。他者と共に歴史の認識を形成することは口で言うほど簡単なことではない。もちろんこれは東アジアの問題の根底にあるものだ。わたしはどう考えたらいいのか?このわたしに明確な答えがない。だが、2000年に小田実が語っていた言葉から学ぶと、絶対的西と絶対的東のあいだに、無数の「西=東」が存在する。それが「西=東」の全体のかたちではないだろうか。そう全体のさまを見すえることで、私自身の自分の位置のありどころと責任もはっきりする。ここで、フランス革命から近代がはじまったこと、そこから「東西」の近代が初めて始まったという認識だけは動かせないと考える。この認識をとるのはヨーロッパ中心主義の立場に立つからではない。国策的ポストコロニアリズムが自己に都合よく「近代」を発明してしまうことの問題を指摘したいからである