言葉と物のコンパクトな世界 No. 7

言葉と物のコンパクトな世界 No. 7

50年代のナチスファシズムを批判した知は、アーレントの「全体主義の起源」「人間の条件」に集約される。それとサルトル「存在と無」の重要性は言うまでもない。続く、60年代・70年代は、スターリン全体主義批判とともに新植民地主義復活批判、マイノリテイーを抑圧してきたヨーロッパにおける社会民主主義への異議申し立ての運動が起きる。この時代の知は、マルクス主義とヨーロッパ中心主義の言説を批判した。そこで啓蒙主義の理性を批判するフーコーの「言葉と物」が重要な意義をもった。例えばポスト構造主義は知の構造を批判することによって多様性としての存在哲学を構築した(Kant No.5をみよ)。この存在論はマイノリティーの抵抗する政治運動に沿う方向をもっていた。そして80年代・90年代は、後期近代のグローバル化が問題となってくる。啓蒙主義批判とともにポストモダンの言説によって知識人の意義が周縁化されていたが、新しく再び知識人の役割を論じることになったのがサイードである。非西欧世界から近代主義を批判しそこで知識人の亡命的あり方の意味を問うの...である。(ファシズムからの国外亡命の場合とは異なる、方法としての国内亡命のあり方ー国と時代と対等であるという自立性ーを問うたといえるのではないか。方法論的に、ここから、従来論じられてこなかった難民や移民、外国人を考えた。)サイードが考える文化帝国主義にたいする脱構築的文化的抵抗は市民の政治参加を不可欠にしていた。だが2000年に入ると、こうした民主主義の理論を再包摂する言説が現れてくる。世界資本主義の分割である帝国の言説が、市民の政治を排除する形で自らを正当化する文化の教説を展開するようになったからだ。対抗的に現れてきた、歴史修正主義による市民の権利にたいする抑圧体制が生じてきたこともここで言っておかなければならない。

(Kant No.5からの引用)
1, 英語のカントだけど欲求能力はこう訳されている。The faculty of Desire is the being's faculty of becoming by means of its ideas the cause of the actual existence of the objects of these ideas 存在者が、かれの表象を介して表象されている対象を実現する原因性となる能力、というような直訳、たしかこんな感じだと思う。例えば、表象された対象を実現した喜びのことを思いえがく。言葉遣いが難しいけれど、(実践理性が道徳性を人間に与えるのに)、この欲求能力が、「各人は、自分自身を幸福にするために努力すべし!」という風に、実践理性の真似をして(主体が自身に適用する)行為の格律を自己立法化してみせる例は中々読ませる。欲求能力は自らを超えて実践理性の役割を勝手に行うとも読める。
2, 同様に、「第一批判」では、理性が自らを超えて概念の役割を演じることの問題が指摘された。「第三批判」の崇高論では、(構想力と理性が互いにネガテイブに反発しあうとみえるが)、構想力の根底に理性があるというか、構想力が理性の役割を演じることがポジティブに分析されているように読めなくもない。「趣味判断」を読むとき、ここで、いかに、構想力と、(悟性そのものとしての)悟性能力とが諸能力の自由で無規定な一致として一致するかという分析に驚くだろう。
3, そもそも最初から、<悟性><理性><構想力>をそれぞれ、定義すること、表にし分類してしまうというような近代知に顕著な体系化・中心化の無理があるのかもしれないと気がつく。カントの建築術の崩壊を怖れるよりも、ここから「物自体」の力への意志を新鮮に考える。二―チェはカントをいかに読んだか?ニーチェはカントを多様性, 生成, 偶然の思想としてし読んだ。ポスト構造主義によるニーチェとカントの読み直しが、1960年代の近代を問い直す運動の展開を通じて行なわれたが、このことが思想史にもった大きな意味をあらためて説明する必要もないだろう

 
 
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80年代・90年代は、後期近代のグローバル化が問題となってきました。啓蒙主義批判とともにポストモダンの言説によって知識人の意義が周縁化されてしまったのですが、サイードが行ったことは、新しい権力(言説)にたいして知識人という理念をいかに再構成していくかということ、その場合、非西欧世界に生きる知識人の亡命的生存を問題提起したことです。ファシズムからの国外亡命の例を参照することによって、方法としての国内亡命の抵抗ー国と時代に対等な自立性ーを初めて言った、と、読めるのではないでしょうか。ここから方法論的に、従来国家の視点からしか論じられることがなかった難民・移民・外国人を不可避な他者として考えることになりました。彼らから離れることなく知識人が拠り所にする普遍主義をどのように再構成していくか?アドルノについて分析している所でアドルノが語らなかったことを書いています。つまり、亡命のために取り戻すことができない、と同時に、亡命だからこそ取り戻すことができるということ。自己自身という場所にいる故の特権と、(特権が奪われているとみなされるが)自己自身という場所の外にいる故の特権。少なくとも、彼の普遍主義は、「帝国の構造」が物語る「世界史」の風景の部分、あるいは統制の対象ではあり得ないと私は思います。