私は2009年以来、アンチG20の立場だから、彼らの世界経済についての発言にたいしては常に疑ってしまうことになるのだけれど、

私は2009年以来、アンチG20の立場だから、彼らの世界経済についての発言にたいしては常に疑ってしまうことになるのだけれど、あらためて、"We will make the pie bigger and make sure people get a fairer share" (Xi Jinping)という言葉をきくと、富裕層の1%が受け取る(巨大な)富をできるだけ大きくしてやり、他方で、貧困層の99%に与える富の分配をできるだけ平等にしてあげることだ、と、ついにネオリベラリズムが世界にむかってこういうふうに説教してきたようにきこえてしまう。(アメリカの大学に行くとこの英語の意味を正確に読むことができるのだろうか?)もしそういうことであればこれは平等の理念とは無関係である。しかしそれにしても、東京五輪スーパーマリオは色々な国々であんなにカネをばらまいてきたというのに、二列目におかれているこの存在感の無さときたら何だろうか?新聞によると、EUから出たら日本企業は撤退するとイギリス首相に圧力をかけているらしいが、公の場にふさわしい建前としての理念を伴わなければ、無視はされないとしても、損得勘定にみえる「私の話」をこそこそする奴として軽蔑されることはない?存在感が無くなるというのはこういうことではないか?たとえG20のような所でも、すくなくとも、互いに「他国の立場」から考えるという原則に貫かれている場であるにちがいない。

 

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