「論語」の世界 No. 5

論語」の世界 No. 5


長い時間を要する思想の問題をあまりに短い時間で便利に答えを見つけようとするから難しい、難しくなる。自分ひとりで考えるのが難しいとき、考えることを諦めてしまうよりも、なぜ友と共に考えないのか。その友は過去に書かれた言葉である。だがいくら言葉があっても、もしそこで方向性を失うとやはり難しいだろう。考える生きる人間を学ぶかわりに、考えない死んだ一つの国家というドグマしか教えてもらおうとしないとき、それは学ぶという方向性を失っている態度だと言わざるを得ない。読むことができない痕跡から、2500年前から、まるで沈黙から聞こえるような小さな声で、とてつもなく大事なことが告げられる。方向性の理念とは、方向性がなければいつまでも一つの国家に囚われたままで無限の宇宙の中心に到達することができないという理念性のことである。17世紀の仁斎論語が「君子」を「市井の人」としてとらたとき東アジアにおける知識革命がはじまったといわれる。つまり、「君子とは何か」という問いは、Was its der Mench...という18世紀において人間を問いはじめた市民の問いと等価であったのである。