「二重国籍」の問題も、21世紀の問題を考えるほどの豊かな議論になっていかないですね、この問題の根底に「属する」ことの限界というか、そういう問題があります

1、繰り返しになることを恐れますが、自分の考えを整理するために大切な点なので強調しますと、政府批判を行う野党指導者に対する排除が起きている可能性を問題にしています。排除の問題について考えるために、他のこと(「二重国籍」というへートスピーチ)を考えるということは避けたいというのが私の構成です。民主党政権時代の蓮舫氏の働きを考えると、この時代と同じままならばそれほど評価もできない期待もできない政治家ですが、しかしこの時代に、総理大臣になるということが選択としての条件がなければ、安倍しかないというこの国は益々やっていけないことを心配します。

2、「国籍」という問題はどの国家の属するか属さないかの問題だと思います。そもそも「属している」という事実は私にとって重要ではありません。人間にとって人間が何をするかということだけが大切ですから。どの国に生まれたという偶然よりも、人々とどういう共同体を作るかという意志を尊重します。「国籍」の問題は民主主義と関係がある、少なくとも政党政治の手続き的健全性と無関係ではないとする意見も時々読みますが、むしろ、思想が、国家の形である「国籍」をどうとらえるのかという問題提起ができます。その思想を、ヨーロッパ中心主義の問題の立て方に従属させる必要はありません。

3、だから再びアイルランドについて書くのですけれど。自己の経験に鑑みると、アイルランドは分裂の問題をいかに克服するかということが大切なのに、北アルランド「国籍」とか、南アイルランド「国籍」という意識を<実体化>してしまうのはヤバイとおもっているでしょうね。それは、記憶の中では、もう地域紛争のことで頭を悩ましたくないという「市井の人」の間にも感じられたヤバイ感です。またアイルランドの場合は、「自国」の定義がそれほど単純ではありません。たとえばイギリスに800万人、アメリカに4000万人というアイリッシュ系移民が存在しますね。移民だけでなく、奴隷として取引されていた時代もあるのでその広がりは南米にも及びます。

4、宇宙の目に見えない暗黒物質のように、世界中に目に見えないアイルランド人がいるというわけです。<自己は何者か?>というオセッションは古代ギリシャ時代から始まりましたが、地球全体に散ったアイリッシュを包括するコンセプトとして、ある時期にRTEが「アイルランド帝国」という言葉で自己イメージを作り出せないかとしていたことに驚きました。アイルランドの現実の政治において彼らのと影響力は無視できないのです。歴史家による公平な評価に委ねなければなりませんが、それらは必ずしもいつも「よい」影響力とはいえません。逆に、それを活かそうとするメアリー・ロビンソンのような人権活動家出身の政治家もいました。彼女は大統領選のときは、国外のアイリッシュ系の人々にも呼びかけたといいます。世界市民性として生きる理想というか、どの国の人もアイルランドの大統領を選んでもいいのだ、人権を尊重する全世界の人々がその投票権をもってもいいのだという、逆にそのぐらいのことを理念としてもっていないと、アイルランドは成り立っていけないのだという危機感があります。

5、私がダブリンにいた時代は、メアリーは国連の仕事をしていて中国の人権問題を厳しく批判していました。このメアリーは彼女が好きなトリフォーの映画を観ながらフランスの大学(法律)で学んだという事実が示しているようにヨーロッパからの感化を否定できませんが、いわゆるヨーロッパ知識人のコスモポリタンとはちがうようにみえます。ヨーロッパの外部にいる民衆からあえて考える、のですが、ただしそれは警戒すべきイギリスの民衆史の言説とは混同されたくはないのです、ポストコロニアリズムの国家言説にもご注意なされ。

6、子安氏が津田左右吉について<未完のナショナリズム>という問題提起を出しています。単純に同一視できませんが、「自己は何者か?」というアイルランド文学に現れたる<未完のナショナリズム>というか、常に人類的な理想が現実に裏切られてしまうというテーマに私はなぜ関心をもっているのだろうかと自身に問います。最近こういうことを考えているからかもしれないと気が付いてきました。物質世界から自立する価値あるものは決して存続できず、物質世界に価値のないものしか存続できないのはなぜなのか?翼をもった人間は重力がないのに下降していくのはなぜなのか?さあ、そのとき曝け出された人間は一体どうするのか?こういう問題です。最後に、世界の圧倒的多数派の資本がない貧しい国のことを考えます、外交官もいかに外国資本の投資を引いて来るのかという課題があります。だから物質世界との交渉も意義があるのですが、「どの国に属している」というこの物質世界の部分から、自立できるためには何をすべきか、思想はなにを書くべきなのかとかんがえています。

 

重力には全然かかわりのない動きによって、下降すること・・・重力は下降させるもので、つばさは上昇させるものだ。つばさを二乗してみても、重力がなければ、下降させることができるだろうか。

 

リア王」、重力の悲劇。「低さ」と名づけられているものはすべて、重力による現象だ。何より、「低さ」という語がそれをよく示している。


シモーヌ・ヴェイユ Simone Veil


シモーヌ・ヴェイユ Simone Veil

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