ワグナー『タンホイザー』の感想文

ワグナー『タンホイザー』の感想文

今日はメットの映画中継オペラで、『タンホイザー』を鑑賞しました。1861年にナポレオン3世の招きによって実現したパリでの初演はオペラ史上最も大失敗を引き起こしたものとして知られていると資料に記されていますが、有名人との繋がりを書けばワグナーその人についてなにか説明するのかは不明です。またワグナー作品の解説でまたかと思うのは、なんでもかんでも両義的トリックスターという文化パラダイムに押し込めるときで、『タンホイザー』も例外ではありません。19世紀ワグナーの問題は20世紀映画の問題に先行していたかもしれません。ワグナーはあえて、感覚世界に包摂されるつつあったオペラを、完成された古典主義と生まれ出でようとするロマン主義との間に置いてみたと考えてみようと思います。完成された古典主義の理想主義・教条主義の側にいたのでは、人間は自己自身の外へ出ることはできないならば、ラスト場面での理想主義・教条主義の勝利は、最後に合唱して無理に終わらせなけれならないという隠蔽されたカタストロフィーですね。ただ再び感覚世界に戻っても救済がないのは、感覚世界が古典世界の対抗的イメージでしかないからです。結局タンホイザーは勝利者か敗北者か?彼は何も不足が無い完全な感覚世界から決別するときに女神に告げていたように、自ら望んでいた通りに戦いによって理念をもつことができたのです。たしかに巡礼では世界との和解を得ることができませんでしたが、その代わり、古典時代と対等な、理念としての大地という<民衆>を獲得した勝利者です。しかし彼の死は古典世界で意味をもったことに注意すべきです。歌に現れるタンホイザーの理念は本当にこの古典世界で実現したのでしょうか?遺書に書き残したように、ワグナーは最後の最後まで、『タンホイザー』の完成を確信できませんでした。だがワグナーが本当に確信をもてなかったのは、近代とは完成するものであること、近代の発明物であるナショナリズムとは完成するということについてだったのではないでしょうか

 

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Tannhäuser

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