ジャン=リュック・ゴダールの世界 No.18

ジャン=リュック・ゴダールの世界 No.18

’イェルコへの途上、 暴徒達に身ぐるみはがされた者を前にして、 警察、プロパガンダ、国家、... 見よ、手を、暴虐な神の名を、 人間達の傲慢な理性は自らの姿に似せて、その神を作り出す術を知っていた’

・プロパガンダというのは、国家は間違っていない、なぜなら国家は間違っていないからだという類のトートロジーを連ねるという、深読みの必要がないような全体性の論理に依るのではないか。全体主義のもとでの喝采とはこういう身ぐるみはがされたような孤立なのかもしれない。問題となってくるのは、映像と言葉の関係をどう打ち立てるかである。ここでゴダールが憤りをもって呈示した映像は、機関銃のギャングたちが撃ちまくっている炎に包まれた女性の姿である。映像が喚起する感情を現わすには、「手で考えた」という言葉があまりに長いけれど、かえってこの不均衡からある種の効果を引き出そうとしている?

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