言葉と物のコンパクトな世界 No. 17

言葉と物のコンパクトな世界 No. 17

「人間とその分身」とは何か?「言葉と物」の入口にさりげなく呈示された謎の絵画にそのヒントがあるというのだろうか?で、もしあなたが、鏡が構成する場、自身の鏡像を眺めるモデル(画家)について洞察をもって熱心に物語るが、外部の他者ーあなた自身?ーが絵の内部へ介入していることに気がつかなかったら、もうやられてしまっていると言わざるを得ない。一度絵の内部に入り込んでしまったら、壁なのに、それを鏡とみなしていたら、永遠に内部から脱出できないだろう。光が差し込む部屋の出口の方向に微かな希望をもっていても表象の迷宮に絡みとられるばかりである。厄介なことに、理性的に考えようとする真理の人ほどますます深みにはまるのである。外へ脱出するためには発想の大転換が必要となる。外部の他者こそが表現する機能をもっていると構成するのである。絵の中のモデル(画家)は自由に構成できない。そして絵から離れるという過程が決定的意味をもつ。だがその行動は政治の場ーどこにもモデルは存在せず、「私」はもはや「私」ではないという場ーにおいてしか成り立つことがないのかもしれない。だからフーコ「言葉と物」のあとに続いた本が、必然として、ほかならない、ファシズム批判の政治を書いた「アンチ・オィデプス」「ミルプラトー」でなければならなかったののである。

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