ヘミングウェイ「老人と海」

「人間は、負けるように造られてはいないんだ。殺されることはあっても、負けることはないんだ」
Man is not made for defeat. A man can be destroyed but not defeated  
- The Old Man and the Sea』

オリンピックのために、大正時代に建てられた原宿駅が壊されるのは反対ですね。高校時代は原宿によくきました。知人を待っているあいだ、17歳のときに読んだ小説「老人と海」(1952)のことを思い出しました。へミングウェイの伝説的飲みっぷりは、パリ「シェークスピア・カンパニー」の常連、アイリッシュの作家から影響を受けたかもしれません。そのジョイスもへミングウェイも、偉大な過去から抱擁されずとも、過去からの連続性が断ち切れても、人間は立つと考えた作家です。そして、人間はどこで立つのか?危機がいわれるヨーロッパにおいてか?それが問題です。1902年に旅立つジョイスを読むと、ヨーロッパで立つことができるという確信をもっていたようには思えません。(戦争嫌いの彼は戦争を避けるように、トリエステチューリッヒ、パリへと移動し続けることになりました。)へミングウェイその人については詳しく知りませんが、「老人と海」の舞台は、全体主義を経験したヨーロッパではなかったのです。サルトルが現在のヨーロッパで再び読まれているようですが、彼によると、「存在」は無根拠だから、全体主義に行くこともできるけれど(!)、そこでは「存在」が成り立たないと考えていたことが重要です。(1940年代の「存在と無」において主張されるように、偶然世界の即自的存在が自らを対自的存在として理念化できるかどうかが問題)。殺されるかもしれないが、全体主義の側で立つことを拒んだそのサルトルがヨーロッパを観察しているのは、「奇妙な戦争日記」においてです。ロンドンにいる間に初めて英訳されたものを一部読むことができました。