ジェイムス・ジョイスの世界 No.17 ーアイルランドとはなにか?

ジェイムス・ジョイスの世界 No.17
アイルランドとはなにか?

Inventing Ireland というテーマは、アイルランド時代の関心でした。Declan Kaiberdが90年代に書いた本の表題ですが、だれがアイルランドを発明したのかというアイロニカルな問題提起でした。(ちなみにこの本が出た後に、イギリスの方から、Inventing England という本が出ます。Inventing Ireland に対抗した問題意識ですね。)アイルランドナショナリズムは、固有性の主張ですが、イギリス貴族階級の価値観は色濃く反映されているというのです(ゲール文芸復興運動のイエーツの詩集はコンビニでも売っています。これは神話的アイルランドを構成します。)他方で「ジュノーと孔雀」のオケーシーの作品はアベ―劇場の売り物ですが、労働者階級のリアリズムですね。(バーナードショーもダブリンの出身です。)そして神話でもなくリアリズムでもないような神話的リアリズムは、ジョイスが初めて切り開いた第三項的領域と考えられます。(大まかに言うと南米の神秘リアリズムと比較で...きるかもしれません。)ブルームのように、ダブリンを一日散策すれば、全部のことがなんとなくわかってくるかもしれません。(私は8年の散歩が必要でしたが。本の世界の路はここに属してはいませんでした。)ところでアイルランドについては「支配されやすい」というステレオタイプがありこれ用心する必要があることは言っておこうと思います。大胆にも、植民地主義に加担していた文学者をあえて自国の文学の「父」として、このように侵入されやすい脆弱なアイデンティティーによって、支配する者と支配される者との境界を絶えずズラしていくのです。曖昧な境界線といえば、車を借りてダブリンからゴールウエイとか西の方へ行ってみると、ここはヨーロッパの西の果てなのですが限りなく東なんですね。アイリッシュ系の映画監督ジョン・フォードはここを訪ねて映画をつくりました(「静かなる男」とかこのときIRAに多額の寄付をして祖父の情報を買ったといわれています。)アメリカが発明する’アイルランド’は物語に溢れていますが、しかし実際に、地図にも載ってないようなところに来ますと、なにも物語ることができないのですね。どういう写真をとっていいのかさっぱりわからない、なんのテーマも思い浮かばないというか、そういう自失呆然の不毛感を私はここで経験したことがあります。サミュエル・ベケットを喚起する世界?また50年代にヴィットゲンシュタインが西部の方に小屋を借りていました。ダブリンからここで、思想家が書く文学に思えてしまう、「哲学探求2」を書きあげています。隠遁したようなこのときの彼の仕事はアイルランドに滞在しなければできない思索だったと私はおもっています。演劇、文学、哲学について書いてきたわけですが、最後に映画。アイルランドという国は、イギリスによって発明され、同時に、そのイギリスを発明していたというのですが、ただ無視できないのは独立後はアメリカとの関係ですね。ハリウッド映画がアイルランドナショナリズムを物語ると、そういう映画に描かれた「アイルランド」のイメージを利用して、IRAが選挙運動の政治を展開するという厄介なことが起きていました(”祖母をまもれ!”というスローガンですね)。映画世界も政治世界も毒することに。結局まとまらなくなりました。神話的リアリズムを独立した諸項、すなわち神話とリアリズムに分けることに無理があるように、互いに重なり合う諸ネットワークを、演劇、文学、哲学、映画というふうに実体的に区別することの無理を感じている次第です。

 

 

画像に含まれている可能性があるもの:テキスト、屋外