理念<多としての普遍主義>は十分に美的理念(芸術)を説明しているだろうか?

理念<多としての普遍主義>は十分に美的理念(芸術)を説明しているだろうか?常に気にしています。わたしの思考不足でまだ十分な答えがありませんが、理念<多としての普遍主義>は、自然を素材にして実現する理念ではなく、歴史に実現する理念だと少しづつ認識しはじめています。完全な唯一の歴史はなく、どの歴史も完成せずに不完全ゆえにどの歴史も各々の「正しさ」をもつというこの時代にあって、理念<多としての普遍主義>が私を考えさせるのです。理念<多としての普遍主義>は不完全なものそれ自身に美を見出すようにと悟性を拡張し想像力を拡大させよと要請してきます...