ハンナ・アーレントの言葉は再びズシリと重みをもって私をとらえるのでありました - 。「どんなに人間が互いに兄弟たりえようとも、それは兄弟殺しから成長してきたものであり、どんな政治組織を人間がつくりあげてきたにせよ、それは犯罪に起源をもっているのである」

  1. この一年間洋書コーナでさがしていたのに、本箱を片付けていたら出てきましたよ。25年前にニューヨークに行ったときに買ったのでしたっけ、こういう表紙でしたか?兎角、早速、気になっていた、「戦争と革命」というタイトルの序文を読みました。存在に注がれる視線?分節化されぬ音を聴いた戸惑い?しかし抗議者というのはここに留まることはできまん。こちらを魂を抜かれたように茫然と眺めている「かれら」との間の境界線をどうしても超える必要がありますから。政治を獲得するために、暴力の意味を伝えるのです、それが成功するかどうかは不確定ですが。ただ政治である以上、暴力を正当化したり称えたすることはあり得ません。(市民の権利に対する暴力を正当化し称える国家であれ帝国であれ、それは反政治でしょう。だからいくら柄谷行人でもかれの帝国の教説は反政治に属するのではないかと疑っています。)21世紀にはいって、オキュパイ運動以降、自発的に抗議する人々が現れました。思った通りに抗議の声が届きませんが、尊いとおもうのは、その非暴力抵抗のあり方です。「どんなに人間が互いに兄弟たりえようとも、それは兄弟殺しから成長してきたものであり、どんな政治組織を人間がつくりあげてきたにせよ、それは犯罪に起源をもっているのである」(whatever brotherhood human beings may be capable of has grown out of fratricide, whatever political organization men may have achieved has its origin in crime) ハンナ・アーレントの言葉は再びズシリと重みをもって私をとらえるのでありました。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、テキスト