吉本隆明と遠山啓

 

現在日本会議と安倍の国体論的言説は、自ら推進するネオリベラリズムの経済政策によって貧富の格差の原因を拡大させていきながら、それを変更しようとはせずに、他方で、「他の道はない」と救済神学的に、歴史修正主義で描いた国家のもとに救われないものはいないと教える。安倍のナショナリズムは完成すると。しかし思想史の観察からみると、ナショナリズムは完成を前提とするにもかかわらず、それは近代において完成することが決してないのではないだろうか。日比谷公園焼き打ち事件においてみられるように、日露戦争で犠牲を強いられた後に、国家の統制に組み込れながら満洲事変に向かって戦争体制を推進していくその民衆はほんとうに救われたのか?戦前の国体論的ウルトラナショナリズムの極限においては、アジア解放の思想も抑圧される結果、植民地主義に搾取される救われない民衆のことが語られることも、帝国主義のおかげで救われるという民衆のことも語られることがなくなっていったという集中があったかもしれない。戦う国家イコール祀る国家、つまり国家はたたかう国家のためにしか祀ることはないのだというテーゼにしたがえば、そこでは戦う国家と祀る国家のことしか存在しなくなったのである。現在この問題を考えることを避けるわけにはいかないが、一番救われないものこそが救われるという理念の要請がはじめて出てくることになったのは敗戦後の吉本隆明によってではなかったか。ここで考えることは、吉本隆明と遠山啓を結ぶ理念的線は、吉本が読み解いた「教行信証」を介してではなかったかという問題である。宗教教団の、救われないものはいないという教説では、衆生を救えないのだと絶望した、知識人(親鸞)に書き記された。「天」と「地」との間の運動性(「往生還相」)は、詩人(吉本)において、理念的に再構成された究極的な一点にはじめて投射されることになった。遠山は点は実在する理念なのだという。吉本にとっては点とは、この一点がなければやっていけなくなるというような、依拠できる外部、信の構造であった。(この語りえない一点は、吉本は「大衆」というふうに名指し実体化してしまう必要はなかったかもしれない)