ジジェクがどう選挙を読んだかをわたしなりに読んでみた

  • ジジェクの言う通りになればいいのだけれど...。ただジジェクが言うように、紋切り型に、ファシズムとしてレッテル張りしてしまうと、本当のファシズムの条件(全体性の包摂と戦争への道)を見逃してしまうことが起きる危険性があることは議論の出発としておさえておきたいとおもう。さて最近のジジェクの言説の展開を追っていないから間違って理解しているかもしれないが、私が気にしているポイントについて沿って語っているようだ。考えるヒントを提供してくれている。ジジェクがどう選挙を読んだかをわたしなりに読んでみた。民主党であれ共和党であれ、国内の政治がどうであれ、共にかれらが共有する’書かれない’近代のルールが存在する。私の解釈では、それは現実的な問題を解決できない国家に戻る必要がないのに、絶えず国家をつくり直そうとするという国家へ行くルールではないか。しかし15世紀から近代国家の形成はイスラームを排除して成立してくる以上、この’書かれない’ルールとともに不可避として反復されてくるのは、イスラームにたいする排除である。つまり非西欧にたいする戦争である(ただしジジェクイスラムについて直に言及していない。)が、植民地主義の近代化・西欧化を拒むあるいはそれを乗り越える思想にたいする戦争と言い換えてもいいかもしれない。この戦争を終わらせるためには、この’書かれない’ルールを壊していくこと、だが、この課題を政党だけに委ねることができるだろうか。「今はアメリカが分裂の傷の手当てをする時だ。国民が団結しひとつになる時だ」という。しかし無理に統合するからそこから内外に分裂の危機を作り出しまうことになるのに。この点について、ウオールストリート・オキュパイ運動は外交政策の占拠という性格をもったとチョムスキーは指摘していたことが思い出されるのだが、究極的には、99%の権威主義体制にたいする抗議と抵抗のなかから、イスラームとの共存を可能にしていく生存への道が模索されるという方向がでてくるのではないか。この道を獲得しないと、少なくともその理念がなければトランプ支持者、クリントン支持者、両方を支持しない人々も、やっていけないくなるだろう。議論よ、起きよ!

     

  •