包摂概念をいかに崩すか? - <もし諸君の足下の大地を掘り起こしていけば天皇のもとに国家と民族が統一された最下層の土を発見できるだろう>などは、受け入れることのできないような虚構の包摂概念である

  • 包摂概念をいかに崩すか?

  • 包摂とは何か?

  • 新しい土が古い土を覆うとき、新しい土の下に地層全体が有機的に統一されたと表象されるのが包摂概念である。

  • これに対して別の考え方が可能である。

  • 空間的に下に位置する土の環境は蓄積されないと理念的に構成したら、地層の環境についてこのように考えることもできよう。

  • まだ「卵」であった上の土の環境が、渾然一体に下の土の内部環境のなかにあったか、

  • 上に来るような土は、下の土の外部環境をなしていて、それとの相互作用の同時性をもって存在していたとみなされるのだ、と。

  • その意味で、内部環境と外部環境を分けることができず、上も下もないということである。地表といわれる層は外部の環境であり、地中といわれる層が内部の環境である。垂直方向で考えるかわりに、水平方向でかんがえるのがポスト構造主義の地図である。

  • ここで、層から層へ成る運動も重要である。外部環境を世界の中心とすることによって内部環境から脱出する層の運動があるだろうし、と同時に、再び外部から内部の中心へと行く層の環境形成があるかもしれない。環境の移動、延伸、陥入、褶曲。

  • 遡るにしても、偶然の亀裂と隙間が無数に存在するだろう。偶然の亀裂と隙間を隠ぺいすることなしに、連続的に遡ることなどは不可能である。

  • 私なりに整理したが、ここから、<もし諸君の足下の大地を掘り起こしていけば天皇のもとに国家と民族が統一された最下層の土を発見できるだろう>などは、受け入れることのできないような虚構の包摂概念であることがいえる。

  • 古代史の国史的な教説を差異化し相対化するという問題意識のもとに津田左右吉の思想は画期的な先駆をなした。子安氏のテクストの分析的解読で知ることができた。