「野生の思考」をたたえる

  • 「野生の思考」をたたえる

 
 
  • 八十年代に「野生の思考」読んだときは、再読というか、再読の再読というか、既にポスト構造主義に批判的に読まれ尽くしていたレヴィ–ストロースを後追い的に読んだのである。読む前に、型にはまった観念を批判する思想を型にはめて理解していたのである。知識を確認したのであって、批判精神をもって読んだとはいえない。だがここであえて「野生の思考」をたたえるのは、「野生の思考」をたたえてきた文化人たちにもった違和感を表明する機会が現在のいましかないのではないかいうことがある。これは私にとっての思想問題という性格のものである。レヴィ–ストロースはサルトル批判を展開した章(「歴史と弁証法」)で、「野生の思考」における思考の実定性とその権利を繰り返し強調していた。今日の文化論者ー宗教を文化に還元する言説が歴史修正主義者による国家神道復活を助けるかを考えないーから、文化論として読まれるならばこれに断固拒否し、私は野生の思考という科学の本を書いたと言うのではないだろうか、と、それだけは自分に言っておこうと思う。そして、21世紀の意味を考えるために、ふたたび新しく「野生の思考」を読んでみようかと考えている。

本多 敬さんの写真