レヴィ–ストロース

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    • 考えることをはげましてくるようなこの批判精神、なんという思考の柔軟性!レヴィ–ストロースの文を読んで何かが新しく見えてくるとき、ウィットゲンシュタインを読むときの、必ずしも正当的な枠で考えないというか、だからこそそこからはっと気がつくことができるという、暗闇の煌めきのことをかんがえる。19世紀末20世紀のヨーロッパの終焉という危機意識によって巻き込まれていく再興ヨーロッパ中心主義に対して、その外部から理念的に巻き返していくのが、「探求」の思考であり「野生の思考」だったとおもうのだけれどね。現在は彼らが依拠した他者としてのその外部は資本主義によって隙間なく覆い尽くされてしまったかもしれない。喜劇のトランプワールドの道しかないのか?この囲い込んでくる内部のなかに、外部が悲劇的に至る所に現れて来ざるを得ないというか... 外部へ行くとき、相補的に同時に、内部へ行くことになるが、ここで新しく再び形づくられる、穴が沢山開いたその内部は、蜘蛛の巣🕸のイメージに近いだろうか?ーただし網目だからといって捕獲すべき対象を必ず必要とするとは限らないー痕跡こそが重要だーたとえば語り手が蜘蛛であるプルーストの小説は振動の方向にアルべルチーヌを自己のもとに捕らえることができぬ喜びに悲観的に且つ楽観的に浸るのである。それなのに、現在起きていることは、再び自己同一化という塊のようなナショナルな一つの方向に無理に統合するから破裂が起きてしまい、不必要な分裂の危機を訴えるというか、そういうことなのである。
        
     
     
     
     
     
     
     
     
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