斜線からきた人類 No.2

  • Heidegger and Wittgenstein20世紀哲学の代表選手はハイデガーウィットゲンシュタインだという。何という高さ!だけれど、「存在」は「存在者」と違うように、「学ぶ」は「教える(教育する)」と違う。と、このように「存在」も「学び」も読めるのは、対他的に自分で獲得するしかない反権威的で卑俗なレトリックの思考による。「存在する」とか「学ぶ」とかは、目的地をもたない散歩者。ブラウン運動みたいにどこにも属するから、どこの部分になることがない。正規分布的に、この散歩者が「存在者」の項に構成されたり、「教える(教育する)」の側に構成されたりすると、レトリックのふたたびあたらしく斜線からきた人類 No.2うたが必要とされなくなってしまうというか...

  • beast

自動代替テキストはありません。