レトリックをたたえる

  • レトリックをたたえる

  • The guardian のテニスの記事に目が行ってしまいました。マレーがジョコビッチを下してworld no 1。面白いのが、マッチの長さを論じるのにマクベスの「どうせやってしまうのなら、早い方がいい(だったっけ?)」という存在論的セリフが引用されていることです。マクベススコットランド人でした(笑) 今朝は朝からピンターのラジオ劇を聞いたし、なんかねえ、言葉の表現にこだわりたいですねえ。お昼に、隣の二人がテニスの話題で盛り上がるのですが、ランキングの話ばかりで寂しいですよお。文学でテニスを語れるのはレトリックの思考が共有されているからでしょうね。英語のシェークスピアは漢字語圏の四字熟語、もしくは、ことわざなんですね。もはや。レトリックというのは、反権威的な思考だから、対他的に自分で獲得するものだとおもうのですね、学校で教わるという、教育が与えたレトリックの教科書的知識では、だれにも通じるような格言という功利主義的な、自ずから軍国主義的の言葉になってしまうのかも知れませんね