ワグナー

ワグナーは、想像力を失った現代に神話を与えました。われわれは皆イゾルデの子孫であることを未来に向かって思い出せ、と、言いたいようです。だけれどワグナーがそう仄めかすようには、神話というものは、それほど統一されていたのでしょうか。読まれるべき起源を指示していたのでしょうか。王の子孫なのか、イゾルデの子孫なのかはっきりとわからないままではないですか。このわからなさに神話の思考がたたえられる理由があると思います。神話は、征服者が己れの支配を正当化する隠蔽といわれますが、そうだとすると、それが、アマテラスに対するスサノオ、王に対するイゾルデの如き、反抗者たちを伝えて彼らを隠蔽しないのは本当に不思議であります。なぜでしょうか?このように神話の思考は不思議のままでいいのですが、他方で、首尾一貫統一したがる近代はその解釈によって、無理に統合するから、カオスの危機(コスモスに同化しなければならない)が生じるのではないでしょうか。