カラバッジオCaravaggioをたたえる

カラバッジオCaravaggioをたたえる

• 今日はナポリに三つあるカラバッジオの作品の二つ目を見ました。昨日はバロックの絵画史的な位置を自分なりに理解できたように思ったのですが、今日はその歴史においてカラバッジオが初めて行なった、彼の前に誰もできなかった表現は何だったのかを考えることになりましたね。昨日投稿した一文から引用しますと、マニエリスムルネサンスから自立しようとした多様な方向性をもった運動の代名詞となっているようですが、バロックはここからしか生まれなかったではないかということを考えています。それは何故なのだろうかと。映像は一つの視点の言葉(樹木的中心化)を読もうとはしないし、言葉のほうも一つの視点(遠近法)の映像を見ないという意味で、抽象化された距離空間マニエリスムにみてとることができます。多分、ここから、バロックはもう一度、打ち棄てられた世界の意味をなんとか探したのだと思うのですが、この中で、カラバッジオは天使を描くことはありませんでした。同時代の哲学者ブルーノからの影響を指摘する説があります。カラバッジオは世界の意味を人間の中からその内部に即して探したのではなかっただろうかなどと考えはじめています。そしてこの難しさに直面したとき、思考できるものと思考できないものとの関係が、絵画に表現された光と闇との関係として、初めてあらわれることになった、と、そのように言えるのかどうか現在思案中でありますー多分解決できないと思いますが