隠蔽について

16世紀のフランスの支配者(王家)が、二世紀に古代ローマで作った模造品ー紀元前2世紀古代ギリシャの彫刻を作り直したーを大量に集めていた。これらの展示を見て、なにか、再語りのような空ろな反復性について考えることになった。16世紀の彼らが関心をもって借り物を集めたのはどうしてなのか?正直知識もなくわからないが、なにか、自分達の起源を隠蔽しなければならなかったのではあるまいかと考えてみた。だが偽物で覆うという隠蔽がかえって覆い隠すベールに穴を開けてしまうだろう。つまり、隠蔽することによって、隠蔽されるものが、隠蔽それ自身であることが開示されてしまうのだ。しかし開始していくものは、借り物を与えて、借り物でないと意味づけていくところまで、ついに自分たちのものとして獲得していくしかないのだと想像している...