「教育」の語はいつ現れたのか?

"江戸の近世"と"明治からの近代"とは切り離してはいけないし無理に統合もできないだろう。17世紀「古義堂」の仁斎の「学ぶ」「教える」は<一対一>で行なわれたという。当時の学ぶ人たちは自分の順番がくるまで別の部屋で待っていたようなのだ。江戸時代は<一対多>型の「教育」の語が無い。国家が普及する制度とともに、education の訳語である「教育」の語が明治の近代に現れたのである。江戸を排除する形で、無理に統合するから、「教育勅語」の原点に「童子問」があると指摘するという愚かな言説が現在生まれる。