カラバッジオの絵から

彗星の眉毛、蜂蜜の唇、誘惑してくる眼差し。「鍵をしめて誰も入れない一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。「私」と指示された蝶々は脱出してしまったかもしれないのに

なんという挑発!カラバッジオは空を飛ぶ天使を描かなかったし、そこでマリアは常に街頭にいる貧者たちの卑近な姿である。天上ではなく地上でバイオリンで奏でられる音楽とそれが依拠する楽譜は、愛するものと愛されるものとの関係の如し。カラバッジオに絵を注文した枢機卿達は絵の意味を理解して震撼しただろう。教団は、貧者の側にいる神を排する形で、無理に統合するから、富者の優位性に依存する腐敗に絡み取られる、と...

葡萄の掌、真珠の涙、愛するものと愛されるもの。「鍵をしめて誰も入れない一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。もし「私」と指示された音楽が脱出してしまった後に

反時代的なサーベル、動物の牙、天地間の循環する海の球。「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。「私」と指示された宇宙が外へ出てしまったかも

絵は教訓「死をおもえ」から逸脱する。いくら死が眼の前に迫っていても生きている限り生から逃れられないのだから死を知ることができない。それは一が多を知ることができないが如く

目前に迫る死、仮面の悲鳴、結び目をつくるロープ。「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えない。「私」と指示された生が既に脱出したかもしれないから

隣人の危険人物、裏切りの指差し、「まさか」と当惑する驚き。「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。「私」と指示された確実性が脱出した後で

いきなりやってきた中断、沈黙と無関心と暴力、「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるだろうか。「私」と指示された不死が外部へ出てしまったあとに

外部である世界の中心に動物を置くこと、「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。「私」と指示された少年が既に脱出してまったかもしれないのに

魂の形である不死の骸骨と共に書くこと。「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。「私」と指示された死が外部へ出てしまったかもしれないのに

解読中に、いきなり現れた日付を伝える指。「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。「私」と指示された未来が外へ出てしまったかもしれないのに

対角線の輝く闇。宙の足裏。地上からの抱擁。「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。「私」と指示された世界が外部へ出てしまったかもしれない

暗闇の中に差し出された赦しを請う首。「鍵の掛かった誰も入れぬ一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言うことは可能か。「私」と指示された光が外部へ出てしまったかもしれない

カラバッジオ「俺を見てくれ、父さん。(彼はナイフで空に描く) こうやって俺は死ぬ。こうして自分を殺す。こうして絵を描くんだ。生きているものを描く。その命の中に、俺は自分の死を見る。俺は自分の手を止めることができない。自分の死を止めることができない。だけど、俺は自分が描く者に、平和をもたらすことはできる。」

(フランク・マックギネス「イノセンス」1986、三神弘子訳)

誰も入ってこれない唯一人の部屋で「精神は自分自身の投射を見るために宇宙における自分の襞を広げる」と言えるか?鍵をかける前に「精神」と指示された言葉が脱出したかもしれない

「精神は自分自身を見てもそこに判明に表現されていることしか読み取ることができない。精神は自分の襞ses replisを一度にすっかり展開させることはできない。その襞は無限に及んでいるのである」(ライプニッツモナド論)