江戸的なものと昭和的なもの

江戸的なものと昭和的なものとは互いに切り離してはならないが、江戸的なものを排する形で、昭和的なものの為に無理に統合もできない(講座派、丸山近代主義)。仁斎・徂徠・宣長・篤胤・藤樹・蕃山・益軒・懐徳堂と、河上・和辻・三木・西田・北・竹内・丸山・柄谷・溝口・小田との間に、言説空間の、境界線が属さない近傍がある。そこに秋水・栄・津田・大川が、また彼らに先行して夏目・福沢・岡倉・清沢がいる。子安氏の68年以降マルクス主義からテクスト論へシフトした思想は、江戸的なもの(近代の"あったかもしれない"始まりとしての"生"の意味を問う領域)に入った。そして21世紀に入ってからは昭和的なもの(近代の"あるだろう"終わりとしての"死"の意味を問う領域)へ出ることになる。江戸思想に絶えず言及しながら、昭和ファショズムの全体を批判的にみつつ、多孔性の包摂されない近傍から、人類的視点で、グローバル資本主義に抵抗するグローバル・デモクラシーという不可避の他者を要請している