「映画史」について

C'EST ÇA QUE J'APPELLE DU MONTAGE, SIMPLEMENT UN RAPPROCHEMENT (GODAD)「ただ単に近づけるということこそ、私が編集と呼ぶものです」(ゴダール) • 誕生すべき「映画史」に地質学と地理学が含まれているという。このことは言葉だけに頼ってみるとわからなくなる。言葉は見ようとするものを包摂してしまうからである。70年代に「映画史」構想の問題は、言葉からの独立であった。ただしこの問いは最初から、言葉の中から言葉の内部に沿って行なわれたから、「映画史」はー言葉の代理性が非難されるのではなくー語り手による内部化を批判し続けるのである(「映像は言葉で語られるようにはできていないのに言葉は映像について語ろうとする」。) 言葉と映像と音は、諸々の諸部分の傍らにある"宇宙のコントロール"と指示された一つの全体から自立するために、再び全体から包摂されるというような関係を作り出す必要がない。切り離してはいけないが無理に統合もできない。言葉と映像と音の間に、寧ろどんな関係も設定しないとき、「ただ単に近づけるということ」によってこそ、一と多はより豊かに、より複雑に浸透する生成する世界について理念的に考えてみるということだ。 ‪