『「古事記」は読み継がれてきた』とはだれのこと?

専門家ではないので間違ったことをいうかもしれませんが、間違いを恐れずにいうと、17世紀の儒者たちは、中国の文献を読んでそれについて注釈を漢字で書くときに何をしているかというと、漢字と仮名で考えることができたことを再び漢字で書いていた過程を想像できます。これと比べると、中国知識人と朝鮮知識人に育てられた古代日本の知識人は彼らともに「日本書紀」を書いたとき、日本知識人はどれほど「考える」自由があったのかと考えてしまうのですね。中国文明の言葉(漢字)から自立しているという意味で成熟したオリジナルな古代日本語があったとはどうしても想像しにくいですね。だから他者の言葉である漢字を自分たちのものとして獲得しようとする1000年の貴重な努力があったわけでしょう。これが完成をみるのはやっと江戸時代なわけで。ところが、これに対して、「古事記」は読み継がれて来たという主張は、江戸時代なんか超えて、遥か遠い古代の時代に遡ろうとするのですね、しかもそこに日本人の固有な思考を発見しようとするとしたらかなり無理な話ではないだろうかと常に思うのです。随分遠回りになってしまいましたが、ここから本論に入ります。「古事記」を英雄物語で読み解くと、英雄物語の構成の仕方に一見日本人の固有の思考があったといえるでしょうか。英雄物語から、国家による統一を困難にさせた「他」の存在ー歴史は一つではないということーを推定できることは確かです。「古事記」が支配の正当性のためだけにあったとするならば、なぜこういう不都合な事情を隠さず伝えるのかは矛盾であります。神話のあり方を考えるうえでこの矛盾について考える価値があるかもしれません。しかしここで問題は、その英雄物語はいつの時代に書き記されたかということです。本当に古代に書き記された通りにそのまま伝られてきたのでしょか?子安氏の講座で取り上げられた問題ですが、「古事記」の写本が発見されるまでは長らくその存在が確認できなかったわけですし、「古事記」の価値が発見されたのもやっと宣長の時代からでした、1800年代のこと。ここから読まれる可能性が始まったのですね。一般の人々が読むのは昭和になって昭和十年代、教科書とかで。この事実を知りながらも、あえて「古事記」は読み継がれて来たという事実に反することを主張してみせるのです。それは一体なぜかということですね。「歴史は一つではない」と言うために、英雄物語を体現する「古事記」が読み継がれてきたという事実に反する言説の意味ですね、どうしても批判的に考えることになります