二つの内部

‪‪他を必要としない内部と、他に依拠する内部とがある。この対立しあう二つの内部を切り離してはいけない。後者の内部を排する形で、前者の側において無理に統合すると、包摂しかみえてこない‬。さて映画というのは、誰がみても自己同一性なきポピュリスムの世界である。これかあれかという論理から自由になろうとして折角映画に即して考え始めたときに、いかに外部と内部が構成されているかという切り取りの問題で再び真偽をめぐる表象の論理に絡む取られてしまう。だけれどそれではポピュリスムの世界を含む政治的なものを見失ってしまうままだ。それよりは不確実な現実を捉えるために、対立しあう二つの内部が同時にあると考えたらどうだろうか。一つの内部は自己同一性で、他の排除へ行く。もう一つの内部は自己同一性が成り立っておらず、絶えず他との関係へ行く。近現代史の政治においても、子安氏が指摘するように、二つのナショナリズムを考える必要がでてきたのかもしれない。