映画「ヴィットゲンシュタイン」(デレクジャーマン監督)

‪映画「ヴィットゲンシュタイン」は、思い出すと、サイレント映画を見ていたのではなかったかと錯覚するほど沈黙が多い映画だ。デレクジャーマンはそういう風に作ったのだろう。「サイレント映画」の時代は映像を読み解く観客のなかでモノが豊穣に喋っていたしそこから大切なことが伝えられていたのに、「トーキー映画」になって語る人間の傍らでモノが沈黙してしまうだけでない。映画が大切なことを伝えることができなくなったのではあるまいかという問題意識を監督はゴダールと共に共有していたことは確かである。それは過去へのノスタルジーではない。映画「ヴィットゲンシュタイン」が無視されているのは、それが現代が隠蔽しているヤバイ真実を呈示しているからだろう。ウィットゲンシュタインの原初的出発はラッセルとの一対一の出会いであった。後に小学校教師になったヴィットゲンシュタインの体験を元に作られた滑稽な場違いというようなものを描写した場面の重要性を見逃してしまうけれど、映画の中で、哲学者は「教える」ように学校で「教育する」と全然上手くいかないというシーンがある。「教える」と「教育する」の間の同一性よりは、「教える」と「教育する」の間の差異性を考えさせる場面である。ここで、学校は軍隊と官僚組織をモデルとしているというフーコの有名な指摘を思い出す。近代の形ともいうべき<一対多>の配置は、修道院での身体の規律で築かれてきたという。その場合、子安氏が指摘するように、話し言葉による声の内面化(デリダ)が不可欠だったろうし、私の考えであるが、恐らく鎌倉五山漢詩にナショナルなものを伝えるということも規律化の配置と偶然ではないだろう。宋代の座禅とか、堀川にあった闇斎の塾で「教育」を受けた者達が畏怖するあまり頭を上げられなかったというエピソードと一緒に考えたいテーマであると子安氏の話を伺いながら思った。当時向かいあっていた「古義堂」で行われた「一対一」の講義の形式とは随分違ったようである。お互いに互いのことを意識し合っていたから講義の形を差異化していったかもしれない。と、「論語塾」のあとの「昭和思想史研究会」の忘年会で盛り上がったのである。来年から毎月第4週土曜日の「論語塾」の開始が12時ではなく1時になった。‬