日本では「わたしはアナーキストだ」とは非常に言いにくい、言うと孤立するから言えないのです。どうしてこんなことになっているのでしょうか?

わたしはアナーキーストだ

忘年会のときに子安先生がおっしゃったことですが、『「大正」を読み直す』を読んだ読者から、こんな手紙、メッセージもくるのだそうです。"自分はアナーキストなのだけれど人前で言えなかった、先生の本を読んでアナーキズムの意味を再発見した"と。アナーキズムとは平和主義者です。国に頼らなくても人々が生きていけるように共同の助け合いの精神を説き自発的実践にたつ思想です。チョムスキーがいうには、たとえば、昼間に学校に行かずにいる子供が道端にいるのを見て、"どうしたのだろうか?病気かそれとも何かあったのかしら"と気にするところからアナーキズムが始まるといいます。それなのに、日本では「わたしはアナーキストだ」とは非常に言いにくい、言うと孤立するから言えないのです。どうしてこんなことになっているのでしょうか?大逆事件で山形有明などの大正に生き残っていく明治のエスタブリッシュメントが、爆弾で国家を破壊する集団という事実無根のイメージを広げたことが原因です。そうして現在の市民たちが自立することができないように先回りされたと考えられます。‪民主主義を考える上で大切な歴史認識ではないかとおもいます。‬今年を振り返ると、やはりこれが大事だったなあと思っております。

ー>「私の著書『「大正」を読み直す』についての本多敬氏による最初の書評です。力作です。ぜひお読み下さい。われわれが共有し、議論を深めていくべき課題を提起しています。 」http://fb.me/4WLLT241Y