ジェイムス・ジョイスとブライアン・フリール

ルソーがインデイアンの価値を発見したようにゲーテケルトの価値を発見した。近代がケルト神話の読み方を発明した。ところがケルト神話があるのだからケルト人が秩序をもって実在していたのだろうと考えるようになる。19世紀に誰がその実在を語るのか?大英帝国である。だからアイルランド人がゲール語起源を喚起する英語で演じても反抗にならない。植民地主義者は風変わりなものの背後に秩序を読み解き安心すらするのだ、このことをオスカー・ワイルドは見抜いていた。現代演劇のフリールは平坦な標準英語で書いている理由はここにある。ジョイスは植民地主義者を不安にさせるものを呈示する。植民地主義者なんかが存在しなくともやっていけるという、800頁に及ぶ1日の意識と無意識の混在した用意周到の文体で書かれた市民の生活の記録、解釈に定位する国家(イギリス)から自立していて、隠遁しているが包摂されない人類的視点をもった本である。