思想史

机上に置かれた手品師のハットから次々と現れ出る鳩たちの羽ばたきを見る喜びは、思想史に記されている一人の思想家の近傍から次々と現れてくる色々な時代の思想家達の仕事を知る喜びと同じである。「近代日本思想案内」は結論を為す出口はあるのだけれど、しかしそのスタート地点に、先行する思想の枠組みもなければ、別の出口に出ようとしていた思想家も一人も存在していなかったようなのだ。外部が存在しないと思うのは私だけか。もしそれを近代日本思想と呼ぶならば、私は喜んで近代日本思想という自己同一性の故郷をもたない異邦人になろうと思う