柄谷行人

政治権力についての、法的及びリベラルな理解と、マルクス主義的理解にはある「経済主義」という共通点がある、と、フーコは指摘していました。<権力は本質的に経済に奉仕する目的をもつ>と物語るその「経済主義」は、柄谷行人氏の「世界史」についての過剰な認識の中に奥深く言説化されていないでしょうか。たしかに柄谷氏のおかげで、ネグリ&ハートの「帝国論」に付け加える新しい知識、「世界帝国」についての発見を得ることができたのですけれど、その代償は何か?隠されてしまったものは何でしょうか?このことを問うとき、新しく現れてきた問題は、彼の「経済主義」の中からその内部に沿って読んでいくとき、「経済主義」をプロパガンダに利用する危険なアイデンティティの政治の領域が見逃されることになったのではないでしょうか?
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