マーラー

ワルター指揮のこの演奏は高校生のときに聴いた。ワルターナチスのドイツからアメリカへ亡命するというケースだけれど、マーラーは国内亡命に近い感じかな。彼はウイーンから離れることができなかった。音楽界の中心にいて力をもっていたコジマはカトリックである。ユダヤ神秘主義のかわりに、老荘思想神秘主義を歌ったかもしれないというような話題を口にしたら、ロンドンのイスラエル愛国者の友人に嫌がられた。(直感的に感じたことは、ウイーンの芸術家はカトリックに同化しているので不快だったのか?) この点に関しては、マーラーの映画を撮ったケン・ラッセル監督の講演をきけてよかった。ラッセルは、マーラーの映画を語るときに、チャイニーズ・レストランで彼の映画を観たという人が近づいてきたときの話をした。ナチスのイメージを使った映画のワンシーンは史実と違っていると指摘してきたとき、反論したくない自分がテーブルから離れることができない場所的に不利な位置にいることを知りながら、これを問うたのである。非常に卑怯なものを感じたと監督は思い返した。やはりこの話は、監督がマーラーの国内亡命の場所を探した立場と重ねたところから成り立つのだろうと今更理解できた。書いておこう