デリダならば靖国問題をどう考えただろうか

デリダならば靖国問題をどう考えただろうか この考え方に賛同する人もいるだろうし賛同しないひともいるだろうが、憲法憲法の中で作ったものを作っても何も獲得できない、と、この認識から、国民投票(憲法制定権力の痕跡)と言論の自由(政府は質問に説明せよ)が意味をもつという。ここで西欧が思考できなかったことをアジア人として思考することも要請される。天皇靖国で死者を主宰する権力を放棄したのである(象徴天皇制)。‪そして私がデリダならば、簡単には答えられないけれど、靖国問題を犠牲のシステムと共感の問題として理解するかしらね。そこの重要性に行く着くとしても、先ず他者(マッカーサー)の書記言語から考えよというふうに法と制度の現前に則して自分に問題提起してみるよ。マッカーサー神道政令から、憲法象徴天皇制をまもる意義を考える‬。昭和思想史研究会の飲み会でよく話題に出るのだけれどね、こういう意見でまとまる