アイルランドのマルクス

マルクスの時代と国に対して対等に生きようとした彼の書く仕事は、だけれど妻の労働(清書)に依存していたのは、ヴィクトリア朝男性作家と変わらないのであった。ロンドンでのマルクスの亡命生活は労働者たちから完全に孤立していたといわれる。むしろ隠遁したようにみえる、この亡命生活を戯曲化したのは、(ベケットのようには)アイルランドの外へ出ることを選ばない、むしろアイルランドに依拠していこうとするプロテスタント系劇作家である。彼自身のアイルランドにおける国内亡命の場所をマルクスに投射したのかもしれないとおもうようになった。ミルトン「失楽園」では敗北者(サタン)が蛇となって征服者の子供たち(アダムとイブ)に知恵を与えたのに対して、この戯曲家が書いた、ダブリンのアベー劇場で観た「有為転変」(mutabilitie)のラストは、勝利した反逆者たちが敵として闘った曾ての支配者の子供たち(孤児)を自分の子供として育ていくというものであった。敵から独立するのではなく、その敵に依拠して自立していくというようなテーマを読み取れる芝居を書いたようにおもう、色々解釈はあるけれど。‬