英語

アメリカ英語だけではありません。英語は多様なのです。カナダ英語とかシンガポール英語とか、オーストラリア英語とか。インド英語、スコットランド英語も。大雑把にいうと、アイルランド英語はゲール語の影響を受けた英語です。(ゲール語もひとつではなくヴァリエーションがあり、わかっているだけでも数十種類あっただろうといわます)。またイギリスの地方の英語とか、16世紀の植民地化が始まるシェークスピアの時代の英語の影響からも。ダブリンで現地の小学生と対等にアイルランド英語を話す日本人の子供たちがでてきます。実際に補習校で教えたときそういう子供たちがいるのを見ました。ゲール語の成績も現地の子供たちの上へ行きます。ところが日本の学校へ行くと、彼らの中には、発音がおかしいとされて、最後の一語まで全部発音を直される結果、"英語嫌い"になってしまう、英語が一番苦手、英語が怖いと感じるようになるという報告きくとほんとうにいやになりますね。

アメリカに長く居住なさって、ダブリンに来た大学の日本語研究者からきいた話を思い出すのですが、ジャパニーズ・イングリッシュも英語のひとつを構成するんだと。間違った英語ではないという見方をもっていました。日本語の多様性がジャパニーズ・イングリッシュに定位しているというか、そんなふうに考えてみますと、人類史的な視点からいうと、数百年とか千年とか、ジャパニーズ・イングリッシュが英語に影響を与えて行く、あるいは作って行くということだって...。中国語とか朝鮮語の影響がいわれますが、ハワイ語とかの影響とか、もっと広い範囲でみた日本語の起源が研究されてくるとおもいますね。そのとき日本人がアメリカ語を上手く話せないのは、逆に、結構それなりに喋っているのは、根底にあるハワイ語のせいだとか、そういうことがわかってくるかもしれません。アフリカ語かもしれません。アメリカ先生英語をどんなに頑張っても挫折しますと言っていました。むしろ即自的にジャパニーズ・イングリッシュの影につきまとわれる構造を自覚して、やや哲学的な態度で、<話しながら英語のルールそれ自体を変えているんだ>というぐらいの開き直った天命?を知ってほしいですね