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フーコのルソー

フーコのルソー

古典主義時代にて同じものをさらに新たな比喩形象によって名指すという任務を帯びていた文学は、やがてそれまで決して名指されたことのないもの、或いははるかな語の襞の中に眠っていたものを、ついに正当な語によって名指すという任務を帯びるに至る。ルソーの『孤独な散歩者の夢想』「第五の散歩」では、魂の秘密や物と身体との境界で生まれる印象に対して、ランガージュがおのずから透明となっている。-フーコ「言葉と物」

「そこで私は「サン・ピエール島植物誌」を書くことにした。...私は牧場の芝草の一本一本、森の苔の一つ一つに、岩を覆う地衣類の一つひとつについて一巻の書物を書いたかもしれない。ともかく私は草のの毛一本、植物のどんな微細な部分もなおざりにせずに詳細に記述したいと思っていた。」

「幸福とはいっても、...充実した完璧に満たされた幸福であり、魂の一切の空虚を埋め尽くして、もはや満たすべき何ものをも感じさせない幸福のことである。このような状態こそ、私がサン・ピエール島において、水のまにまに漂わせておく舟に身を横たえているとき、あるいは波立ちさわぐ湖の岸辺に座っているとき、あるいはまた、他の場所にある美しい川や小石の上をさらさらと流れる小川の傍らで孤独な夢想にふけっているときにしばしば経験したものなのである」ールソー「孤独な散歩者の夢想」

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