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デリダ

‪1970年代のこのデリダの文をよむと、その後に展開することになる50年間を見通していたような、方向性というか、理念としての「散種」を言い表していたのではなかったかと思ってしまう。「散種は、父親に帰属しないものを表わすのです。」つまり、ヨーロッパ中心主義と新植民地主義にも属さず、また(多としての普遍主義を再包摂してきた)グローバル時代の世界帝国とか、歴史的には昭和ファシズムにも、属さないもの、と、わたしは解する。‬

「散種は、父親に帰属しないものを表わすのです。その発生においても、その去勢においても、帰属しないのです。この命題の輪郭を点検してみようと試みてください。そうすれば、その途上で、歩みつつ、あなたは多義性と散種との間の限界を見いだすでしょうし(標記)、そして見失うでしょう(余白)。書くことー散種ーとは、去勢を考慮に入れることではないでしょうか。」(デリダDerrida『ポジシオン』)

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