宣長

子安宣邦宣長学講義」(岩波書店 2006)<真淵の教えー漢意批判より引用>‬

‪小学国語読本における「松坂の一夜」が、その歴史的な一夜においてあたかも真淵が遺言を授けるように宣長に語ったとされる言葉「あがたゐのうしの御さとし言」とは次のようである。‬

宣長三十あまりなりしほど、県居大人(あがたゐのうし)をうけ給はりそめしころより、古事記の注釈を物せむのこころざし有りて、そのことうしにもきこえけるに、さとし給へりしやうは、われももとより、神の御典(ふみ)をとかむと思ふ心ざしあるを、そはまづからごころを清くはなれて、古へのまことの意(こころ)をたづねえずはあるべからず。然るにそのいにしへのこころをえむことは、古言を得たるうへならではあたはず。古言をえむことは、万葉をよく明らむるにこそあれ。さる故に、吾はまづもはら万葉をあきらめんとする程に、すでに年老て、のこりのよはひ、今いくばくもあらざれば、神の御ふみをとくまでにいたることえざるを、いましは年さかりにて、行きさき長ければ、今よりおこたるなく、いそしみ学ぶなば、其の心ざしとぐること有るべし。‬

‪これは真淵が宣長に教えさとした言葉である。あるいは真淵の教えとして、後の宣長によって語り直された言葉である。私がこの「御さとし言」を、真淵のものとも宣長のものとも分かちがたい形でいうのは、再三いうように、それがすでに学の成就への見通しをもった宣長によって己の学の始まりをはるかに回想して語られたものだからである。この「あがたゐのうしの御さとし言」にあるのは、‬宣長の古学の方法論として受肉化された真淵の教えだというべきだろう。‬

‪「神の御ふみ」である『古事記』を解くためには、「なづからごころを清くはなれて、古へのまことの意(こころ)をたづね」なければならないと、真淵は教えたと宣長はいう。すなわち『古事記』の「古言」によってわが「古へのまことのの意」を明らかにしようとするには、まず「漢意(から)ごころ(漢意からごころ)」を取り除かねばならない、それが古へ学びの最前線だと宣長は教えたというのである。真淵が宣長に実際に説いたのは、『古事記』の「古言」によって正しく「古意」を得るための方法的な前提としての「漢意」批判ということであったかもしれない。だがこの「漢意」批判はやがて、宣長における国学思想と切り離しえない思想批判、あるいはイデオロギー批判の方法となるのである。この「漢意」批判ということの重要性を真淵から教えられたと宣長はまずいうのである。‬

‪「漢ごころ(漢意)」とは日本の「古えのこころ(古意)」と相関的な概念である。福沢諭吉が『文明論之概略」で「文明」という語は「野蛮」と相対するものだというように、「漢意」とはわが古代人固有の心意としての「古意」と相対sjるものだということができる。もし日本に固有の「古意」を闡明(せんめい)することを人がいうとき、彼はその「古意」から「漢意」を排他的に主張することになるだろう。‬‪「日本」古来の心意、すなわち「古意」が志向されるとき、その志向者は「非・日本」的な心意、すなわち「漢意」を排他的に見出すことになるのだ。自文化の固有性への志向は、その文化における外来的なもの、他者的なものを排斥的に()出していくことになる。このように国学における「漢意」批判の確立は「日本やまと」の自文化意識の成立を告げるものでもある。この「漢意」批判とともに、文化は「自己と他者」「内部と外部」そして「固有と外来」といった二項対立的な関係においてとらえられ、他文化に対する自文化という内部的な文化意識が生み出されることになるのであえ。それこそ「国学的」というべき自文化意識、自文化イデオロギーの成立にほかならない。‬

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